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絶望的青春

2013.08.04 12:48|memo
ちょっと個人的メモ

絶望的青春/尾崎豊NOTES

(小説新潮 第66巻 第4号 平成24年四月号 編集兼発行人/新井久幸 ㈱新潮社)

 正直に生きたい。そう思う。けどこの世の中、やりたいことだけやって生きてゆくことはどうも出来ないようだ。僕の心には夢を見て夢を追いかけても、しょせん夢は夢でしかなく、夢に破れ挫折していくという不安がいつもある。そして僕はどうすればこの世の中で現実に夢をつかむことができるのか思いをめぐらして見るんだ。学歴がまずひとつある。この世の中どんな場合でも学歴で人を見る。「何々大学を卒業しました」と「中卒です」では誰もが中卒にあわれみや同情を少なからずでももってしまうだろう。僕はそんな世の中の固定観念がなくなればいいと思う。そうすればもっと自由に生きられる気がする。が、日本は狭すぎる。「右を向け」といわれれば、向かないものばかりが目立ち、いつも血祭りにあげられてしまう。夢を追うにしても時期がある。中卒で夢を追うには、あまりにも門は狭すぎる。大学を卒業すれば、夢を追っても食いはぐれる不安からは免れると誰もがそう考える。ぼくらティーンエイジャーにはいったいどんな生き方が最良であるかと聞くならばちゃんと学校を大学までいって卒業することだと世の大人たちはそう子供に教えるでしょう。そして学校の先生は生徒にそうはっきりとは言わずに、暗黙のうちに了解させようとするでしょう。そしてこの日本の固定観念たるものを口にしようとする生徒には先生はきっとあわててくさいものにふたをするように黙らせようとなさるでしょう。なぜでしょう?誰もがそのことについて考えようとしないからです。ただ黙ってそうあるべきだ、で納得させようとしているからです。人間は自分にわからないものが目の前に出てくるとその事実を信じようとせず、それを頭から拒否し否定しようとしますが、それではいけないと思います。この疑問に答えられる人がいつでしょうか。ある人はそれは社会に背を向けた考えだ、と言うでしょう。夢と言う言葉に逃げているという人もいるでしょう。たしかに高校大学と進学し会社に入り生きてゆくことがもっともノーマルな生き方です。けれどそうやって世の流れに組み込まれて生きていくことしかないように教えられ、その他はすべてアウトローになってしまうと考えるのはあまりにも悲しいことです。学校のカリキュラム以外の勉強の方法でももっと自由な勉強の体制を社会全体が考えるべきです。でなければ日本の少年たちの見る夢は学校のカリキュラムみたいに味気なくて教科書みたいに当たり前でつまらなくて、授業みたいに夢を見ることさえ退屈になってしまいます。日本の文化が産業中心であるからこそ、ぼくらも社会の一部に組み込まれて、ネジか何かのように働くことを考えねばならないのかもしれません。そう考えるからこそ日本の産業には目覚しい成長があるのかもしれません。そして日本は小さすぎます。日本で半分がそんな生き方を捨て、転職を続け、残業などしなくなったら日本の産業はたちまち成長がとまり、日本は貧弱国家になってしまうでしょう。ぼくらは決して国家の財政を案じて生きているわけではないのですが、今この社会の仕組みではそう生きざるをえないので、競走、また競走、そうやって成長してゆくのだろうがこの小国家日本では、その競走のやりかたがあまりにも露骨にまのあたりに見えてしまって、国民は「隣もはじめたから私もはじめなくちゃ」とばかりにいっせいに誰もがまねをしはじめる。小さいばかりにあまりにもあさましい生き方をしているように思えてきます。誰もがそれに気づきながら、どうするすべも持たずにいるんだと思います。夢と社会とのつながりはこんな風につながっているんだと思います。結局今のぼくらの自由は社会によって踏みにじられているんだと思います。やりたいことなどひとつも見つからないこの社会に、ただ生きてゆきたいと思うだけのわたしは愚かでしょうか。人間が食うために働かなくてはならないのならば、嫌でも働かなければならないでしょう。それはまるで食うためには勉強しなければならない、今の教育制度も同じだと思います。だけど、ちがう。教育の本来の姿はそんなものじゃないはずだ。学問のおもしろさはそんな「食うためには…」をとおり超えたもののはずなのに、今僕らティーンエイジャーは間違った教え方をされ、間違って考えているような気がする。なぜ、つまらない授業を受け、それを批判することも出来ずそれに対するテストを受けなければならないのか。大切な青春時代をまちがった教育の方法によって心をかき乱され夢さえ見ることの出来なくなってしまった少年たちがやがて大人になり社会に出たときそこに真の人間のあるべき姿など考える人がいるでしょうか…。はたしてそれでこの日本は救われるのでしょうか。しかしぼくの言い方は断定的すぎて、それは個人個人の気持ちのもちかたに他ならないと言われればそれもそうでしょう。みんなが「おれたちそんなに不満じゃないぜ」と言うならば、それでいいのかもしれない。けど中退者の数は今十万人を越えています。そして相変わらずぼくは授業がつまらなくて学校なんか行きたくないのにテストを受けなければ卒業できないと思い、、しょうがないとあきらめて勉強しているのは、世の中に妥協してしまっているような気がしながら過ごしています。だからぼくの夢は自分の気持ちに正直に生きることです。そして夢は夢なんだといつも自分に言い聞かせている気持ちが隣でささやいています。「おまえひとりとりのこされるぞっ」って。

 誰がいけないというわけではありませんが、競走し自分のことだけ考えなければ、この社会では生きてゆけないのです。そして人はみな勝つ喜びに味しめ、人を追い抜くことに力を出し始めるでしょう。でなければ誰がテストでいい点なんかとるでしょう。いい点をとるとみんな心の中では優越感にひたっているのです。そうじゃないなんて言っていい点をとってる…
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